オーセンティックが紡ぐ、運命のベトナム料理—浅草で続く「本物」への探求

東京・浅草にある日本最古の地下商店街内にひっそりと佇むベトナム料理店「オーセンティック」。店を切り盛りするのは、オーナーの森泉さんです。

元々はライター兼編集者として活躍していた森泉さんが、なぜ今、ベトナム料理店の厨房に立っているのでしょうか。

そこには、料理人だった夫・中塚さんとの出会い、運命に導かれるかのような、不思議なベトナム料理との出会いがありました。

目次

ベトナム料理店開業へ—異業種夫婦が辿った運命の糸

ケージー: 本日はよろしくお願いいたします。オーセンティックさんの歴史やコンセプトについて、詳しくお伺いさせてください。ご主人は元々フレンチのシェフだったと伺っていますが、どのようにベトナム料理と出会われたのでしょうか?

森泉さん: 夫は岡山県の出身でしたが、長年フランス料理のシェフだったそうです。40過ぎてから東京に出てきたために、当初はフランス料理の料理長をしても、うまくマッチングしなくて苦労しました。ただ、上京してから東京の食の多様性に深く感銘を受けて、そんな際にご縁があり、大きなレストラン会社に就職することに。地中海沿岸エスニック料理のブッフェレストランの料理長になりました。その後本社勤務になっていた時期に、夫婦でバリに旅行に行ったことがきっかけで、バリ料理店の企画書を会社に提出したのです。

ケージー: その企画書が、ベトナム料理に繋がったのですか?

森泉さん: そうなんです。その企画書がきっかけで、夫は社長に呼ばれ、当時六本木にあった日本で一番大きなベトナム料理店「ベトナミーズ・シクロ」の料理長に就任するよう命じられました。サラリーマンなので会社の命令ですから、もちろん料理長になるのですが、実は、私がベトナム料理好きだったことがあって、当時から東京のベトナム料理店には2人でかなり通っていました。夫は当時、ベトナム料理について、「もちろんおいしくないとは言わないけれど、正直、君が言うほどベトナム料理に、はまる感じはないなぁ」と言っていました。

ケージー: そこから、お二人でベトナムへ?

森泉さん: そうなんです。夫は自力でがんばる!と言っていたのですが、正直、大好きじゃないベトナム料理のメニューを考えるには限界がありますよね。私は実は当時、「ベトナムには一生行かない」と決めていたのですが、2000年ごろの東京には、まだベトナム料理店は少なく、どう考えても現地に行かなくてはどうにもならないと思いました。

中塚は2代目料理長だったので、会社からの出張扱いにはならなくて。私から「一緒に行こうよ」と勧めて、2人で行くことにして、旅行の手配などは私がしました(初ベトナムだったので、現地でインポーターをされていて、シクロにも食材を卸してくださっていた社長さんに、アテンドはお願いしました)。

まだ成田空港から直行便がなかった時代のことです。ホーチミン市に行ったのですが、現地に行くと、日本では味わったことがないベトナム料理の数々に圧倒されました。山盛りのハーブや、見たことない調味料やスパイスの数々……。中塚はその未知のおいしさに「へたり込む」ほどの衝撃を受けたとずっと話していました。初ベトナムで、すっかり虜になってしまいました。実は後日、企画書を出したバリ料理店が形になったのですが、料理長就任の話を、お断りしてしまったほどでした。

ケージー: 森泉さんは、なぜベトナム料理に惹かれたのでしょうか?

森泉さん: 私がベトナム料理に初めて出会ったのは大学生の時でした。「十大学合同セミナー」という国際政治の勉強会に参加した際に、ベトナム戦争についてゼミのみんなでいろいろ詳しく調べることになりました。それがきっかけで、日本が初めて難民として受け入れたベトナム人の方が日本で開いたベトナム料理店に通うようになりました。

難民の方から、戦争の生々しい話を聞き、ベトナム料理は大好きになりましたが、ベトナムやカンボジアは「一生行かない国」と決めたほどでした。ただ、ベトナム料理は一番好きな外国料理になりました。毎日食べても飽きないほどおいしいと思っていました。

度重なる苦難と「モラトリアム」——それでも店を続ける理由

ケージー: シクロでの成功を経て、独立された経緯を教えていただけますか?

森泉さん: 夫はシクロで約7年間料理長を務め、その後、独立することになりました。どうしても大きな店舗がいいと、友人に紹介してもらい、高円寺で店をオープンしたのが2007年です。「オーセンティック」という名前は、2人で考えてつけました。話せば長いので端折りますが、ベトナムに対して正当でありたい、という思いからこの名前になりました(理由はあります)。

ただ、私は出版の仕事が好きだったし、メニューを一緒に考えたり、時間があれば手伝いはしても、お店に専任では、絶対に関わらないという約束でした。それなのに、いろいろありまして、結局、一緒にやることになってしまいました。

ケージー: でも、その後、現在の浅草の店舗へと移られたのですよね。

森泉さん: はい。広すぎることもあり、2009年に高円寺の店は閉めました。その後、浅草の店をスタートしたのは2011年です。浅草地下街は私が昔から知っていて、運よく見つけたのが今の店舗です。珈琲も出す居酒屋さんの居抜き店舗ですが、基本造作は変えずに使っています。1コマ4坪(約13平方メートル)程度とかなり狭いですが、予算もないので、当時とてもラッキーだったと思いました。開店日は2011年3月10日。次の日に東日本大震災が起こりました。

ケージー: ご主人の病気という大きな試練もあったと伺いました。

森泉さん: オープン当初は、計画停電などもあり、もう閉店するしかないかも、という思ったこともありましたが、ゴールデンウィーク以降は、予約の電話が一気に増えました。ありがたいことに忙しすぎるくらいの状況で、月で100軒以上のご予約をお断りすることも多かったです。そんな折、中塚が大病を患いました。

2014年の夏です。入院した際には、半年後に生きているかもわからないような状況だったので、何とかひとりでお店を開きながら病院に通いました。高円寺の時は2人で料理を作っていましたが、浅草ではお店が狭すぎて、火まわりはほとんど中塚が担当していたので、入院前にレシピをメモしてもらい、どうにか切り盛りしました。もう二度とああいう働き方はできないだろうと思います(笑)。

ケージー:今は一人で営業されているのですね?

森泉さん: 元々は東南アジアが好きだったのも、ベトナム料理レストランに通っていたのも私の方なんです。バリ旅行に行った頃(中塚がシクロの料理長になる前)は、時間があるとベトナム以外の東南アジアの島などに通っていました。オーセンティックの立ち上げの時から一緒にやってきましたが、「自分自身は飲食店をやりたいという夢があった」わけではないんです。どうしようかとしばらく悩んでいたのですが、店を閉めたままでは金銭的な負担もすごくて……。

「とにかく営業しないとヤバい」と、2023年12月6日に営業を再開しました。こんな年齢になっているのに、「私はこれからどうするのだろう」とこの年でモラトリアムかよ? と思いながら、スタートした感じです(苦笑)。

営業時間を大幅に削減するしかないのですが、とりあえず以前とほぼ同じメニューで営業をして、1年10か月になったところです。お店をやっていれば、出会いがありますし、以前からのお客様もいらしてくださったり。モラトリアムでスタートしても、最近では、少しずつやりたいことが見えてきたように思っています。

「一緒に作り上げてきた味」——奥深きベトナム料理への探求心

ケージー: オーセンティックの料理は、どのように作られているのでしょうか?ご夫婦で作り上げてきた、という感覚に近いのでしょうか?

森泉さん: まさにその通りです。実は中塚と私は、プライベートで過ごすときにも、料理以外の会話はほとんどしていない感じでした。中塚がシクロの料理長だった頃から、ベトナムには2人で行き、現地の料理を食べてメモをして、そこから、自分たちが思う味に落とし込んでいく、という作業をしていました。気が付くと、オーセンティックもスタートしてからだと、18年になっているのですが、その間のメニューは、ずっと2人で考えて作ってきました。よく、「ご主人の味を引き継いでいるのですね」と言われることがあるのですが、どちらの味というより、「一緒に作り上げてきた」ものだと感じています。

ケージー: 森泉さんのライターや編集者のご経験が、お店の運営に活かされている点はありますか?

森泉さん: 一番直接役に立っているなと思うのは、飲食店取材や、料理ページを長年担当していたことかなと思います。本を作る際にレシピを整理したり、厨房に入ってレシピを取材しながらメモ書きして整理したり、という作業は、ベトナムに行った際に、料理のメモをしたり、調べたり、という作業と直結していると思っています。

シクロ時代から、中塚はなるべく現地の味に近づける努力をしていたのですが、ベトナムで見つけた珍しい食材の検索などは、私も得意分野になります。レシピを長年書いていたのと、いろいろなお店のシェフの方にご取材していたことは、とても役に立っていると実感しています。それ以外にもいろいろありますが、何か新しいことをする際に、不思議とそれまでの経験がリンクしていく、というのはあると思います。

ケージー: どのような料理を提供されているのでしょうか?

森泉さん: 。ベトナム料理は、本当に多種多様なので、他店ではあまりお出ししていないような珍しいお料理も、可能な限りお出ししています。ただし、お店が狭く、1日のお客様の数が少ないので、マニアックなお料理はコース料理でお出しする傾向はあります。

浅草の地に息づく「非日常」——狭さが生むお客様との密な関係

ケージー: 浅草の店舗は、とてもコンパクトな空間ですね。この環境ならではの特徴はありますか?

森泉さん: はい。このお店は4坪と狭いですが、その分お客様との距離が近いのはメリットだと思います。店内にエアコンが設置できないなどいろいろ問題は多いですが、小さな分、お客様にお料理やベトナムの話などができるのがとてもありがたいです。

ケージー: お客様とのコミュニケーションを大切にされているのですね。

森泉さん: 例えば、「ディルを多用するのはハノイなど北の地方なんです」とか、「アサリとディルのベトナムオムレツは、本来小さな牡蠣で作りますが、日本では手に入らないためアサリで代用しています」など、料理の背景を知っていただけたらと思っています。お客様がより深くベトナム料理に興味を持ってくださったら嬉しいです。お話しても大丈夫なお客様とはなるべく会話がしたいと思っています。

「呼ばれた」としか思えないベトナムへの深い縁

ケージー: 森泉さんご自身のベトナム料理店を営まれると決めた時は不安とかはなかったんですか?

森泉さん: それがめっちゃありました(笑)。 私の父は銀行員だったため、「商売は怖い」という観念が幼い頃から植え付けられていました。自分自身は、お店を持ちたいという気持ちは、ほとんどありませんでした。先ほどお話したように、ベトナムにも一生行かないと決めていたので、ベトナム料理のお店をやっていること自体、とても不思議な縁だと感じています。

ケージー: その縁は、先程おっしゃってた10大学合同セミナーということでしょうか?

森泉さん: そうですね!やはり大学生の時に参加した「10大学合同セミナー」が大きなきっかけですね。出版社に入ってからも、ベトナム難民の方のお話を伺ったりしていて、他の東南アジアの国とは、違う気持ちを持っていました。今になって思うと、あの頃から既に、私の先にはベトナムがあったのかもしれません。

ケージー: またご夫婦の食の好みが一致していたことも、ベトナム料理に導かれた要因だったのでしょうか?

森泉さん: そうですね。中塚とは「食べ物の好みが一致していた」ことも、ベトナム料理に繋がっていった不思議な感覚があります。夫はベトナムの味に深くのめり込み、「たまには他の東南アジアの国にも行こうよ」と勧めても、「ベトナム以外には行きたくない」といつも返事が。。私たちはベトナムの「不屈の精神」や、「多彩な食文化」に強く惹かれ、それが店を続ける原動力なのかなと思います。

オーセンティックが描く、ベトナム料理のこれから

ケージー: ベトナム料理に対する世間の認知度は、どのように変化していると感じますか?

森泉さん: この10年ほどで、「ベトナム料理がすごく好きなんです」と言ってくださるお客様がものすごく増えました。昔は「あまりインパクトがない」「タイ料理の方が美味しい」と言われることもありましたが、今はその奥深さを理解してくださる方が増えてきて、とても嬉しいです。ベトナム自体もどんどん変化していて、日本各地からの直行便も格段に増えました。実際にベトナムに旅行される方や、日本に住むベトナム人の知り合いがいる方も増えて、身近な存在になったなと思います。

ケージー: オーセンティックとして、これからも伝え続けたいことは何でしょうか?

森泉さん:自分が子どもの頃に、一番印象深く心に刻まれたのが、ベトナム戦争でした。まだ小学生でしたが、テレビでも大きく報道され、当時も本を読んだりしました。あれから50年。様々な偶然が重なり、ベトナムやベトナム料理に関わる仕事をしています。

日本でベトナム難民の方を受け入れたのち、様々な日本人の方の支援を受けた結果、ベトナム料理店が誕生したと聞いています。料理を知ることは、その国の文化を知ることに繋がり、また、それぞれの国の料理には、その国の歴史が刻まれているのだと思っています。ベトナム料理を少しでも好きになっていただけたら、ベトナムという国にも興味を持っていただけたらうれしいです。可能でしたら、ぜひ、現地にも行ってみてください。オーセンティックとしては、少しでも、そんなきっかけになれたら、うれしいと思っています。

インタビュアーからの一言

浅草の地下街に佇むベトナム料理店「オーセンティック」。元ライターという異色の経歴を持つ森泉さんがたどり着いたその場所は、まるで運命に導かれたかのような、深く温かい物語に満ちていました。

「ベトナムには一生行かない」と決めていた森泉さんが、料理人だった夫・中塚さんとの出会いをきっかけにベトナム料理の奥深さに魅了され、二人三脚で築き上げたお店。そこには、料理を提供するだけでなく、その国の歴史や文化、そして人々の思いを伝えたいという、静かで強い情熱が宿っていることを実感しました。

ライター・編集者としての経験が、料理やお店の運営に不思議な形で結びついていくお話は、まさに森泉さんのこれまでの人生が全て「オーセンティック」というお店に集約されたのだと感じます。

森泉さんのお話に、心から感動しました!改めてインタビューのお時間いただきまして、ありがとうございました。

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