タイ料理ブームが加速している今、大阪を拠点に“タイ料理”を育ててきた立役者がいます。
クンテープの創業者・川北さんは、タイで、その熱気と料理の味に強く魅了されました。
そこから始まった壮大なストーリーは、ただの飲食店経営ではなく、「中華料理を超える」という夢を追い続けてきた挑戦の記録です。
本記事では、クンテープ代表・川北さんが歩んできたタイ料理との人生、そしてタイ料理が中華料理を超えるという展望についてお話を伺いました。
「アメリカに憧れた青年」が選んだ、異国はタイだった

ケージー:本日はよろしくお願いします!まずは、川北さんの“タイとの最初の出会い”についてお聞かせいただけますか?
川北さん:高校生のころから、ずっとアメリカに憧れていたんですよ。でもなかなかチャンスがなくて…。大学の友人から20歳くらいのころに「タイ行こうよ!」って何度も誘われてたんですけど、5年くらいずっと断り続けてたんです(笑)
ケージー:5年も断り続けていたんですか!それでも最終的には行くことにされたんですね。
川北さん:はい。24歳くらいのときに、「ヨーロッパ行こうかな」って言ったら、「いや、タイの方が安いよ!」って返されて。それで“じゃあタイに行ってみようかな”って。当時は、シンガポールも含めて、ソ連の格安航空会社で往復1万円くらいで行けた時代だったんですよ。
ケージー:それは驚きの価格ですね。その海外旅行は、いかがでしたか?
川北さん:1984年のバンコクだったんですけど、最初は屋台がちょっと怖くて、ホテルで毎日チャーハンを食べてました。でも、なぜか“また行きたくなる感じ”があって…。2回目に訪れたとき、デパートのフードコートでラープを食べたんですよ。それがもう衝撃的で。

ケージー:ラープですか!タイ東北地方のスパイシーな肉サラダですよね。どんなところが衝撃だったんですか?
川北さん:こんな料理、日本にはないなって思いました。もち米と一緒に食べるスタイルにも感動しましたし、それをきっかけに、タイにいるのがどんどん楽しくなっていったんです。
ケージー:その楽しさって、どんなところに感じられたんですか?
川北さん:バンコクの街全体がもう“ギンギラギン”って感じで(笑)人の声があちこちから飛び交ってて、活気がすごかったです。屋台で買い物するのも楽しくて、「いくら?」って聞くために、1から1000までのタイ語を覚えたんですよ。10〜20円を値切るマネーゲームが、もう楽しくて仕方なかったですね!
ケージー:完全にハマってますね(笑)
川北さん:そのときはまだ自営業をやってたんですけど、「なんかこの国で何かやってみたいな」って、漠然と思い始めましたね。まさかそれが後の人生に大きく関わってくるとは、そのときは全然思ってなかったですけど。
物販から始まった“タイでの挑戦”と、過酷な現地ビジネスの現実

ケージー:タイ料理との出会いから、実際にビジネスを始められたのは、どのタイミングだったんですか?
川北さん:タイにハマったあと、最初は物販から始めたんですよ。タイで洋服やアクセサリーを仕入れて、日本で販売するという形ですね。
ケージー:いわゆるバイヤー的な活動ですね?
川北さん:そうそう。で、1987年に初めてタイでお店を持ったんです。場所はバンコクのマーブンクロンセンター。日本で言うと、渋谷のど真ん中みたいなエリアですね。そこでお店を出そうとしたんですが……これが全然うまくいかなくて。
ケージー:それは何が原因だったんでしょうか?
川北さん:一番大きかったのは、働き方の違いですね。たとえば、タイ人スタッフが普通にごはんを食べながら接客していたりして、最初はカルチャーショックがすごかったです(笑)
ケージー:カルチャーショックは確かにすごそうですね・・!
川北さん:そうなんです。本当に、「もうこのままタイで死ぬかもしれないな」って思ったくらいです。なんとか続けようとはしてたんですけど、最終的に、旅行会社のマネージャーから「これ、もう建ちませんよ」って言われて、やっと帰国するきっかけができたんです。
ケージー:その判断も、“運”が関係していたと思いますか?
川北さん:そうですね。あのとき日本に帰れなかったら、今の人生はなかったと思います。だからこそ、あの半年間があったからこそ、今があるんですよね。
就職未経験の30歳、食品販売で“仕入れも営業もトップ”に
ケージー:タイから帰国されてからは、すぐに飲食の道に進まれたんですか?
川北さん:いえ、それが全然違うんですよ。実は、30歳になるまで一度も就職したことがなかったんです。高校の頃から「将来は社長になりたい」と思っていて、大学時代もずっと自営業をしていました。でも帰国してから、「もう一度勝負するなら大阪だ」と思って、大阪で初めて就職活動を始めたんです。
ケージー:初めての就職って、不安もあったんじゃないですか?
川北さん:めちゃくちゃありましたよ。5社くらい面接に落ちて、やっと入社できたのが歩合制の食品販売の会社だったんです。ちょっと怪しげな雰囲気もありましたけど、「今日から働けますか?」って聞かれて(笑)30分だけ同行してもらって、すぐに一人で営業を任されました。
ケージー:いきなり一人営業ですか!? それでどうだったんですか?
川北さん:江坂の駅前で、「駅はどこですか?」って声をかけて、そこから会話を広げていったんです。そしたら、初日で2万5,000円くらい売れて、いきなり売上トップになりました(笑)
ケージー:すごすぎます(笑)
川北さん:それで「仕入れも任せてほしい」って自分から言って、わらび餅やかき氷を使って“ゴールデンコース”を作って売りまくりました。冷蔵庫を買って、冷たくして提供して、練乳とかを使ってバリエーションも増やして。他の人からも真似されてましたね。
ケージー:もう完全にプロフェッショナルじゃないですか。
川北さん:このときの現場経験が、今の飲食業の土台になってるんです。そのときに身についた“売れるものを見抜く感覚”は、今でもずっと活きてますね。
「これは絶対来る」—東京で確信した“タイ料理の未来”

ケージー:食品販売のお仕事のあと、いよいよタイ料理との本格的な関わりが始まったんですね。
川北さん:そうですね。きっかけは、妻の病院に付き添ったときに立ち寄った、東京・六本木にあるタイ料理店で、200席くらいあるお店だったんですが、オープン当初から予約でいっぱいで、入れないくらいの人気ぶりだったんですよ。
ケージー:それはかなり衝撃的ですね。
川北さん:「これは絶対、タイ料理が日本で流行る!」って、そのとき確信しましたね。当時の大阪には、タイ料理のお店がまだ3軒くらいしかなかったので、「これは大阪でもいける」と思って、日本橋に18坪の専門店を出したんです。
ケージー:18坪というと、かなりコンパクトなサイズですよね。
川北さん:はい。でもありがたいことに、お客さまの8割がタイの方でした。黒門市場がすぐ近くだったので、現地の方も多かったですね。キッチンは妻ともう1人のタイ人スタッフ、僕がホール担当で、まさに手づくり感満載のスタートでした。
ケージー:まさに家族経営の温かさが伝わってきます。
川北さん:そうですね。ただ、1年でそのお店を手放すことになってしまって。実はその物件、又貸しだったんですよ。で、大家さんに交渉したら、「3,000万円で買うか、出ていくか」って言われてしまって……。
ケージー:えっ、それはなかなかすごい話ですね……。
川北さん:でも、その経験があったからこそ、「次は自分でちゃんと契約できる物件を探そう」と思って、心斎橋に移ることになったんです。
“道頓堀バイキング”が生んだ革命と、大阪タイ料理文化の創出

ケージー:心斎橋では、どんな展開をされたんですか?
川北さん:最初は、飲み屋街のど真ん中にあるお店で、夕方5時から朝の5時まで営業していました。夜食の需要がすごくあって、そこではかなり利益を出すことができたんです。
ケージー:深夜営業って、今ではなかなか難しいスタイルですよね。
川北さん:そうなんですよね。ただ、「日本の方にも入りやすいタイ料理店をつくりたい」という思いが強くて。そのあと道頓堀に移転しました。40坪くらいの広さで、ちょうどバブルがはじけた後だったので、保証金も下がっていて、なんとか入居することができました。
ケージー:そこから、あの「タイ料理バイキング」が始まったんですね?
川北さん:はい、そうです。「昼にタイ料理を食べる文化を根付かせたい」と思って、バイキング形式を始めました。当時はタイ料理といえば夜のイメージが強かったので、昼間に行列ができるようなお店はまだなかったんです。でも、広告を少しずつ出していったらお客さまが増えてきて、最初は一桁だったのが、1年で30人、3年後には行列ができるまでになりました。

ケージー:すごい成長ですね……!
川北さん:ただ、他のタイ料理店もバイキングを真似して始めたんですが、ほとんど続かなかったんです。やっぱりバイキングって廃棄が多くて難しいんですよね。うちはもう、根性で乗り切りました(笑)
ケージー:それだけじゃなくて、5階建てのビルで料理教室や食材販売、ECもやられてたんですよね?
川北さん:はい、そうです。「ご家庭でもタイ料理を楽しんでいただきたい」という思いがあって、料理教室をスタートしました。講師はうちのコックで、調味料の販売も行いながら、楽天での通販も始めました。
ケージー:今でこそそうした流れは当たり前になっていますけど、かなり早い段階で取り組まれていたんですね。
川北さん:そうなんですよ。そのおかげで、「家庭で楽しむタイ料理」という文化が少しずつ広がっていきました。知らない方がどんどんお店に来てくださるようになって、黒門市場にも食材の専門店を移転したんです。
最大の危機と、イベント出店での“再起”

ケージー:クンテープさんの勢いが加速していく中で、経営面で大きな危機もあったとうかがいました。
川北さん:はい。2017年ごろに「ガァウタイ」というチェーン展開型のお店を始めたんです。フランチャイズシステムも、300万円ほどかけてきちんと構築しました。でも、それがまったく活用されなかったんですよね。

ケージー:そうだったんですね・・!
川北さん:結果的に、お金だけが出ていくかたちになってしまって、会社が本当に潰れかけました。正直、「もうダメかもしれない」と思いましたね。でも、そこで踏ん張って、イベント出店に本腰を入れ始めたんです。
ケージー:以前からイベントには参加されてましたけど、本格的に取り組まれたのはこの時期からだったんですね。
川北さん:そうなんです。土日は休みなく、さまざまな場所から声がかかるようになっていました。セレッソ大阪のスタジアムグルメでは、1日で69万円の売上を記録したこともありますし、「ビールを2杯ご購入いただいた方にプレゼント」というような仕掛けも試してみました。
ケージー:それはすごいですね! そして、そのイベント出店がきっかけで、ルクアにもつながったと。

川北さん:そうなんです。池光エンタープライズさんとは開業当初からお付き合いがあったんですが、そのご縁からルクア出店の話が決まりました。当時は、まだ会社の立て直しが完全にはできていませんでしたけど、「1年後には必ず立て直す」と心に決めていたんです。
川北さん:また「これは他社さんに決まりかな」と思っていたところに、アサヒさんが一生懸命提案してくださって。契約金の話もありましたけど、それよりも「どんなお酒を売ればいいか」を一緒に考えてくれるその姿勢が大事だと思ったんです。だから「契約はしないけど、お酒はアサヒでいきます」と決めました。
ケージー:まさに、「運」と「縁」が導いてくれた展開だったんですね。
川北さん:本当にそう思います。JRさんと直契約ができたことで、一気に周囲からの評価が変わりました。それまではなかなか声がかからなかったようなところからも、次々とお話をいただけるようになって。でもその背景には、どん底から這い上がってきた実感がありますね。
東京進出の舞台裏と、人生を導いた“運命”の出会い

ケージー:東京進出は、どのような経緯で決まったのでしょうか?
川北さん:ルクアの出店がひと段落した頃、アサヒビールさんから「東京での出店にご興味ありませんか?」とお声がけいただいたんです。実はそれまで、東京にお店を出すつもりは全くなかったんですよ。
ケージー:それは意外ですね。なぜ、あまり乗り気ではなかったんですか?
川北さん:ビジネス街で勝負するつもりがなかったんです。うちはずっと繁華街でやってきたお店ですから。でも、アサヒの若いご担当者さんが本当に熱心で、何度も一緒に飲みに行ったりしてくれて……その姿勢に心を動かされたんです。
ケージー:何度も足を運んでくださるのは、やっぱり気持ちが伝わりますよね。

川北さん:はい。アサヒさんのご紹介で、東京のリーシング会社をいくつか回らせてもらったんですが、その中に虎ノ門ヒルズがありました。ただ、最初はお断りしたんです。「あそこはビジネス街だから、うちには向いていない」と。
ケージー:でも最終的には出店を決められたんですよね?
川北さん:はい。いろいろなお話を伺っていく中で、虎ノ門が“ただのビジネス街”ではなくなっていくという予感があったんです。ステーションタワーもできますし、人の流れが変わるだろうと感じて。「今やらなければ、一生やらないな」と思って決断しました。

ケージー:その頃、プライベートでも大きな出来事が重なっていたとうかがいました。
川北さん:そうなんです。愛犬が16歳で体調を崩していて、東京に行ったら看病ができなくなると思っていた矢先、その愛犬が急に亡くなってしまって……。2019年5月、大阪のタイフェスティバルの開催中のことでした。
ケージー:フェスの現場にいながら、そんな状況だったんですね……。
川北さん:その日は意識を失ったかのように記憶が飛んでしまって、あとから聞いた話だと、周りのみんなに「川北さん、様子が変だ」と言われていたそうです。中には「もう社長と会うのは最後かもしれないから、挨拶しておいた方がいい」と言っていた方もいたようで。

ケージー:それは……言葉を失います。
川北さん:でも、不思議なことがあって。イベントが終わったあと、突然「犬を迎えに行かなきゃ」と思って動けるようになったんです。その後、夢にその犬が出てきて、東京・新宿のカフェに導かれる夢を見ました。そこは、僕が大学時代にアルバイトしていたカフェのすぐ前だったんです。
ケージー:まるで「東京に行け」と言われているかのようですね……。
川北さん:まさに、そう感じたんです。それが背中を押してくれて、虎ノ門ヒルズ出店を決意するきっかけになりました。
中華料理を超えて—“人生を変える料理”としてのタイ料理を届けたい
ケージー:川北さんが「タイ料理を広める」ことに、これほどまで情熱を注がれているのは、どのようなお気持ちからなんでしょうか?
川北さん:最初のきっかけは、「中華料理を超える料理を、日本に広めたい」という思いだったんです。昔は夢みたいな話だと思っていましたけど、ここ数年で、ようやくその目標が少し現実味を帯びてきたように感じています。
ケージー:確かに、タイ料理ってすごく身近になりましたよね。今ではガパオも当たり前のようにメニューに載っていますし。
川北さん:そうなんです。昔は「ガパオ」って言っても、誰にも通じなかったんですよ。でも今では、コンビニにまで並ぶようになって。自分たちがやってきたことが、少しずつ形になってきたのかなと思える瞬間がありますね。
ケージー:今後は、どのような展開をお考えですか?
川北さん:これからは、店舗をどんどん増やすというよりも、イベントを通じてもっとタイ料理を広めていきたいと思っています。最近は地方のイベントにもお声がけいただくことが増えてきまして、田舎でもタイ料理はすごく人気なんです。
ケージー:地方でもタイ料理が広まっているんですね!
川北さん:はい。地方の方々にとっても、タイ料理は“新しい味”として受け入れられていて、すごく嬉しいです。だから、もっと全国で「家族で楽しめるタイ料理のイベント」を開催したいと思っています。
ケージー:それはとても面白い取り組みですね。講演などにもご登壇されていますよね?
川北さん:はい。最近は講演会にも呼んでいただく機会があって、「タイ料理を通して人生を語ってください」なんて言われることもあるんですよ。なので、今後はもう少し語る”仕事にも取り組んでいけた*と思っています。
ケージー:まさに川北さんの人生そのものが、“運と出会い”のストーリーですね。
川北さん:本当に、ここまで来られたのは「運」だと思っています。いつも言ってるんですが、「運がなかったら、実力を発揮する場面すらない」と思うんです。チャンスは運が運んできてくれますけど、それを掴むのは自分次第ですからね。
ケージー:チャンスは運が運んできてくれるけど、それを掴むのは自分次第という言葉めちゃめちゃ刺さりました(笑) では最後に、クンテープファンの皆さんに向けて、メッセージをお願いします!
川北さん:自分が生きている間に、中華料理を超えるタイ料理文化を日本に根付かせたいと思っています。そのために、TikTokやInstagramでも発信していますので、ぜひ応援してください。皆さんも、もっともっとタイを楽しんで、タイ料理をたくさん味わってくださいね!ケージー:川北さん、本日は本当にありがとうございました!