人との縁が結んだ日本初のハラール─池袋『マレーチャン』福澤代表が語る、40年の挑戦と深まる異文化理解

池袋で40年近くにわたり愛され続けるマレーシア料理店「マレーチャン」

その代表である福澤さんは、ただ異国の料理を提供するだけでなく、国境を越えた「人との縁」を何よりも大切にしてきました。

マレーシアで出会った人々との交流、そして日本で困窮する留学生や難民への支援を通じ、福澤さんは日本初のハラールレストランを創業。多文化共生を食で体現し、挑戦し続けるその波乱と情熱の40年の軌跡に迫ります。

目次

「マレーチャン」の原点:人との繋がりが育む絆

「マレーチャン」の内観①
「マレーチャン」の内観①

ケージー: 福澤さんは長年にわたりマレーシア料理店「マレーチャン」を経営されていますが、特に大切にしていることはありますか?

福澤さん: 私自身、出会いを大切にしています。「マレーチャン」は池袋で営業しているので、以前から立教大学の異文化研究会の先生や生徒との交流が続いています。ちょうど先日も私の自宅でバーベキューパーティをしました。色々なニュースが飛び交い、とても楽しかったです。

ケージー: 立教大学!私の出身校なので、親近感が湧きます(笑)特に印象に残っている出会いはありますか?

福澤さん: 特に記憶に残っているのは、マレーシアで出会った大学生のことです。彼はバックパッカーで、マレーシアの首都で泥だらけになっていたんですが、どう見ても日本人っぽいなと思って声をかけたんです。「日本人ですか?」と聞いたら「はい、そうです」と。聞けば、ホテルには泊まらず、学校や駅に野宿して1週間も旅をしていると言うんです。その挑戦力に感動しました。

ケージー: それは大変な状況ですね。

福澤さん: ええ。放っておくわけにはいかないので、私が泊まっていたホテルに連れて行き、シャワーを浴びさせて、屋台で好きなものを食べさせました。「ああ、生き返りました!何かお手伝い出来ることは?」と彼が言うので、そこで「日本に帰る時、マレーシアから段ボール2つを届けてくれるか」と頼んだら、二つ返事でやってくれました。1週間後に私が日本に帰ったら、ちゃんと届いていて。その彼とは、20年後の今日も家族で食べに来てくれたりして、連絡を取り合う仲なんですよ。

ケージー: すごくアグレッシブな方ですね!その他にも印象に残っている方はいらっしゃいますか?

福澤さん: はい。他にも、バングラデシュの留学生で、授業料が払えないからアルバイトを時間がある限りしないとやって」いけないという留学生がいました。私が紹介したのは、都内の公園のトイレ掃除専門と、我が家の皿洗い専門のアルバイトです。それを4年間続けて卒業し、今では日本語も完璧で、日本大使館に引き抜かれ、今ではバングラの首都で、日本商社の副支店長を務めるほどの優秀な人物になっています。

ケージー: 福澤さんの人柄が、異国の地で頑張る若者たちの支えになっているんですね。皆さんの人生を間近で見守る中で、特別な思い入れがあるのではないでしょうか。

福澤さん: そうですね。お店を始めてからも、留学生を雇うことが多いんですが、みんな本当に困っていますからね。全員を雇うことは出来ないので、うちだけでなく、いろんなところでアルバイトをしながら、頑張っているのを見聞きしています。

ケージー:福澤さんの姿勢・取り組みとても素敵です!

日本初の挑戦:ハラールレストラン「マレーチャン」誕生秘話

「マレーチャン」の外観
「マレーチャン」の外観

ケージー: 福澤さんの人柄と温かい心遣いが、多くの若者たちの人生を支え、素晴らしい未来へと繋がっていることがよく分かりました。そんな福澤さんが、日本で初めてのハラールレストランを始められたきっかけについて、ぜひお伺いしたいです。どのような経緯で「マレーチャン」は誕生したのでしょうか?

福澤さん: ええ。私自身、実は永年マレーシアの生活体験10年ほどマレーシアを行き来していた時期があるんです。教師をしていた主人の影響で、留学生の面倒を見たり、交流を深めたりしていました。マレーシアでの生活は、中国系、インド系、マレー系、そして和食まで、本当に様々な料理が食べられる食文化の世界があり、驚きでしたね。

ケージー: 10年も!それは長いですね。その経験が「マレーチャン」に繋がったと。

福澤さん: ええ。特に印象的だったのは、向こうのイスラムセンターに友人がたくさんいたことでした。彼らが口を揃えて言うんです。「日本にはハラールレストランがないのでイスラム系の人は行かれない」と。

「マレーチャン」で食べれるチキンライス
「マレーチャン」で食べれるチキンライス

ケージー: 当時はそうだったんですね。今でこそ増えましたが。

福澤さん: そう。それで、「あなたが日本に帰った後には、日本で初のイスラムレストランをやってくれたらいい宣伝になって、みんなが『日本にハラールレストランができたよ』って宣伝するから、お客さんが来るよ」と、毎日毎日言われたんです。それが、この店を始める本当に最初のきっかけでした。当時、中国系よりもムスリムの方々と多く付き合っていたので、一緒にモスクに行ったり、生活を共にする中で、彼らの食に関する切実なニーズを肌で感じていましたね。

ケージー: なるほど、現地の友人たちの声が原点だったのですね。そして、その大きな期待を背負って帰国され、「マレーチャン」を開業されたと。それは簡単なことではなかったでしょうね。

福澤さん: ええ、本当に。この店を立ち上げてからは、全財産を投げ打ちましたから。もう「やめられない」という覚悟でやっています。

「マレーチャン2」でいただけるバクテーセット
「マレーチャン2」で頂けるバクテーセット

ケージー: それは……想像を絶するご苦労があったのですね。そこまでの覚悟で続けていらっしゃるのには、やはり強い信念があるからこそでしょうね。

福澤さん: そうですね。マレーシアでの暮らしの中で、イスラムの方々と深く関わりましたから。彼らは毎日お祈りをするし、アルコールも口にしない。そういう彼らとの生活を理解する中で、日本にも彼らが安心して食べられる場所を作りたいという思いが募りました。マレーシア料理は、様々な民族の食文化が融合しているため、ハラールでありながらも多種多様なバリエーションが楽しめます。HALALの」中国系やインド系の料理もあり、、和食の要素まである。それが世界中のイスラム圏の人々、特にオイルカントリーの人々がわざわざマレーシアまで食べに来る理由なんです。日本でも、この多様なハラール食の魅力を広めたいと思っています。

温かな出会いが紡ぐ未来:福澤さんが支える若者たちの成長

「マレーチャン2」の内観

ケージー: 福澤さんが「マレーチャン」の経営に全財産を投じ、年金を取り崩してまでお店を続けていらっしゃる覚悟と、ハラールレストランを日本に根付かせたいという強い信念に感銘を受けました。その根底には、やはり福澤さんが出会いを大切にし、異国の地で奮闘する若者たちを支えたいという思いがあるからこそだと感じます。具体的に、福澤さんの支援によって人生が大きく変わった方々のエピソードを、もう少し詳しくお聞かせいただけますか?

福澤さん: ええ、そうですね。本当に、たくさんの若者たちとの出会いがありました。特に印象深いのは、やはり大変な状況で日本に来て、一生懸命頑張っている留学生や難民認定を受けた子たちです。

ケージー: はい。ぜひお聞かせください。

福澤さん: お店を始めてからも、本当に困っている留学生を雇うことが多いんです。うちだけでなく、いろんなところでアルバイトをしながら、少しでも生活の助けになればと願っています。最近では、ミャンマーの難民認定を受けた子たちも3人雇っています。彼らは日本語学校に行かなくても働けるのですが、日本語が全く分からないので、私が日本語のテキストを買い、日本語も教えていました。言葉の壁は本当に大変です。

「マレーチャン」の内観①
「マレーチャン」の内観①

ケージー: 難民認定を受けた方々も積極的に雇用されているのですね。言葉の壁がある中で、積極的に留学生を受け入れている背景を教えてください。

福澤さん: ええ。彼らは朝5時から掃除の仕事をして、それから私の店で働いたりして、月に15万円くらい稼ぐ中で、10万円くらいを故郷のミャンマーに送金しています。ミャンマーには仕事がないから、親御さんの生活を支えているんです。残りの5万円で日本での生活をやりくりしている。本当にそういう子ばかりですよ。彼らが日本で苦労しながらも、「いつか故郷に帰って偉くなってほしい」という思いがあるから、少しでも支えになりたいんです。

ケージー: 皆さんの人生を間近で見守り、自らの苦労を顧みずに支え続ける福澤さんの姿勢は、本当に頭が下がります。彼らが帰国後に「偉い人になった」という事実が、福澤さんの原動力になっているのですね。

福澤さん: そうですね。マレーシアで出会ったバックパッカーの日本のの学生もそうですが、みんな、今は大変でも、未来を信じ、日本で頑張って、ちゃんと帰国して立派な人になっていく姿を見ていると、本当に嬉しいんです。だからこそ、これからも彼らが成長できるよう、できる限りの手助けをしていきたいと思っています。

「死ぬまでやります」:福澤さんが描くハラールと日本の未来

「マレーチャン2」の外観①
「マレーチャン2」の外観①

ケージー: 福澤さんの若者たちや、様々な背景を持つ人々への深い思いやり、そして異文化理解への尽力は、まさに「マレーチャン」の精神そのものだと感じます。この「マレーチャン」の事業、そして日本のハラール文化の未来について、福澤さんはどのような展望をお持ちでしょうか?

福澤さん: ええ、そうですね。私にとって「マレーチャン」は、全財産を投げ打って始めた場所ですから、「死ぬまでやります」という覚悟で取り組んでいます。また、私がいなくなったとしても、スタッフや息子がなんとか営業してくれると信じています。

「マレーチャン2」の外観②
「マレーチャン2」の外観②

ケージー: その覚悟と情熱が、多くの人々を惹きつけ、支え続けているのですね。特に、困っている留学生や難民の方々への支援も印象的でした。

福澤さん: はい。これまでも、バングラデシュや中国、そして最近ではミャンマーからの難民認定を受けた方々など、10人以上の留学生や困っている人たちに少しでも手助けができればと思っています。日本語が分からない彼らには、私がテキストを渡して日本語を教えることもあります。彼らが日本で安心して働き、生活できる環境を少しでも提供することは、私の使命だと感じています。

ケージー: 福澤さんのそうした支援が、まさに日本の未来の国際社会を支える人材育成にも繋がっているのですね。ハラール料理の普及についても、今後の展望はありますか?

「マレーチャン」で頂けるラクサ
「マレーチャン」で頂けるラクサ

福澤さん: もちろん、やりたいことはたくさんありますよ。まずはメニューをもっと増やしたいですね。それから、冷凍のお弁当も始めたんです。これは九州や北海道など遠方にも送っていて、もちろんハラール対応しています。将来的には、マレーシアに限らず、様々な国のハラール料理も提供できるようになりたいと思っています。先日、ガザ地区から来たシリアの負傷者の方々にお弁当を出したんですが、彼らはマレーシア料理を食べ慣れていなかったんですよ。彼らにとっては、トルティーヤのようなものとゆで卵が最高のご馳走だった。ハラールであっても、食文化は本当に多様だと改めて感じましたね。だからこそ、これからもより多くの日本の方々にも満足してもらえるよう、HALAL料理の品質向上のための研究開発を続けていきたいと思っています。

ケージー: 日本のハラール文化の未来を切り拓く福澤さんの情熱と行動力に、心から敬意を表します。本日は貴重なお話をありがとうございました。

福澤さん: こちらこそ、ありがとうございました。

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