2002年、タイ料理店がまだ都心に集中していた時代に、神奈川県・溝の口に一軒の店がオープンしました。その名は「コピーピー」。タイで出会ったタイ料理の魅力に惹かれ、タイ人の夫とともに店を立ち上げたオーナーのプロイカオさん。
以来23年間、武蔵小杉、二子玉川にオープンした3号店目のシミランへと店舗を広げながらも、常に地元・神奈川に根ざし、タイへの深い愛情を注ぎ続けてきました。
そこには、予期せぬお客様との出会いや、シェフである夫の故郷・タイ南部の味へのこだわり、そしてコロナ禍を経てより一層強くなった「家族のような」スタッフとの絆がありました。
ワーホリ帰りの衝撃的な出会い——タイ料理への情熱が生まれた瞬間

ケージー:本日はよろしくお願いします。お話しお伺いできるの楽しみにしておりました!タイ料理を始める前はどのようなお仕事をされてたんでしょうか?
プロイカオさん:よろしくお願いします!最初は不動産の営業だったのですが、その後その会社を辞めて、高校の同級生とオーストラリアへワーキングホリデーに行ったんです。1年弱滞在して、帰国する時、日本への直行便が高かったので、バンコク経由のマレーシア航空を使ったんですね。
ケージー:なるほど、それでタイに!
プロイカオさん:はい。クアラルンプールからマレー鉄道で北上してタイに入国しました。その道中でマレーシア料理も美味しいねと話していたんですが、タイに着いて屋台でご飯を食べた時、「これだ!」って。その時の「タイ料理だね」みたいな気持ちは、今でもすごく覚えています。

ケージー:オーストラリアの料理とはまた違った感動があったんですね。
プロイカオさん:そうなんです。オーストラリアは素材は美味しいんですけど、料理の歴史が浅くて少し飽きてしまっていたんです。だからアジアの、特にタイ料理の美味しさには衝撃を受けました。
ケージー:それがタイ料理の道へ進むきっかけになったと。
プロイカオさん:はい。帰国して就職しなきゃいけないのに、旅行が楽しくなりすぎてしまって(笑)。「半年くらいの派遣とかないかな」なんて考えていたら、適性検査で全然ダメで。それで「もうタイ料理屋さんでバイトするしかない!」と思って、新宿のタイ料理店でアルバイトを始めました。
ケージー:すごい決断ですね!
プロイカオさん:そこで、今の夫と出会ったんです。彼がタイ人で。それが、まあ、本当のきっかけですかね。そこから将来は二人でタイ料理屋さんをやりたいなと思うようになって、2002年に溝の口で開業しました。まだ28歳くらいで、本当に「挑戦だ!」という気持ちでしたね。
溝の口での挑戦——“懐かしい”と集う元駐在員に支えられて

ケージー:2002年というと、溝の口にタイ料理店はまだほとんど無かったんじゃないですか?
プロイカオさん:そうですね、一番最初だったと思います。当時はやっぱり新宿や渋谷に集中していたので、「地元にタイ料理のお店があったらいいな」という強い思いがありました。
ケージー:オープン当初はいかがでしたか? やはりご苦労も?
プロイカオさん:もちろんです。全部自分たちでやっていましたし、大変でしたね。カウンターが長いお店だったので、常連さんと仲良くなって、という形で少しずつお客様が増えていきました。
ケージー:当時、タイ料理を知らない方も多かったのでは?

プロイカオさん:そうなんです。「地元で誰が来てくれるんだろう」と思っていたんですけど、意外なことに、タイに駐在経験のある方が「懐かしいね」と言ってたくさん来てくださったんです。
ケージー:へぇ!それは想定外でしたか?
プロイカオさん:全く想定していませんでした。溝の口はファミリー層が住むベッドタウンなので、そういう方がいらっしゃったんですね。奥様方も皆さんタイに住んでいた経験があって、色々な話を聞かせてもらえて。本当にその方たちに支えられて、すごく楽しい営業をさせてもらっていました。
仲間と駆け抜けた拡大期——武蔵小杉、そして二子玉川へ

ケージー:溝の口のお店が軌道に乗って、次は武蔵小杉に2号店をオープンされます。2005年、創業から3年後ですね。
プロイカオさん:はい。今では考えられないくらい、当時はラッキーなことに良い物件情報が不動産屋さんから舞い込んできて。若さもあって「やってみようか!」という勢いでしたね。
ケージー:3年で2店舗目はすごい勢いです。
プロイカオさん:ただ、そこからが本当に大変でした。スタッフを雇って、マネジメントして…。実は、創業当時は私と夫、そしてもう一人友人の3人で始めたんです。その友人が15ほどで抜けるまでは、彼女にすごく支えられて、だからこそ広げられたんだと思います。
ケージー:3人のチームだったんですね。
プロイカオさん:そうなんです。しかも、その頃に娘を出産しているので、もう本当にボロボロだったと思います(笑)色々な人に支えられて、何とかやってこられました。
ケージー:本当にパワフルですね…!そして2013年には二子玉川に「シミラン」をオープンされたのですね。
プロイカオさん:はい。もうそんなに増やすつもりはなかったんですけど、二子玉川のライズができるタイミングで、自宅からも近いこの場所にご縁があって。ここも商業施設の中ではなく地権者さんの物件なので、自由度が高いんです。やっぱり子どものこともありますし、生活と一緒に、地元である神奈川でやっていくというスタイルは昔から変わらないですね。
シェフの故郷、プーケットの風を——シミランが届ける“南部の味”

ケージー:プロイカオさんのお店の料理には、何か特別なこだわりがあるのでしょうか?
プロイカオさん:一番のこだわりは、夫がタイ南部のプーケット出身だということです。
ケージー:南部ご出身のシェフは珍しいですよね!
プロイカオさん:そうなんです。タイ料理店の料理人は東北(イサーン)出身者が多いので、私も東北弁が喋れるくらいイサーンのことは大好きなんですけど(笑)でも、夫が南部出身だからこそ、一般的な東北料理に加えて、南部の料理も本格的に扱っている、というのがうちのオリジナリティだと思っています。
ケージー:店名の「シミラン」も南部の島の名前ですよね。

プロイカオさん:そうです。溝の口と武蔵小杉のお店の名前は「コピーピー」で、これも南部の島の名前なんです。プーケットという名前のお店は当時すでにあったので、南の綺麗な島である「シミラン」という名前にしたんです。
ケージー:お店のルーツが名前に込められているんですね。
プロイカオさん:昔は、タイの屋台で使われているような、あの赤いギンガムチェックのビニールクロスをチャトゥチャック市場で買い付けて使っていたんですよ。
ケージー:すごいこだわりですね!
プロイカオさん:でも久しぶりにプーケットに行ったら、そんなお店はもうなくて、みんなすごくお洒落になっていて(笑)。「やばいね、うちら古臭いね」なんて話をよくしています。
タイへの愛を、神奈川の食卓へ——お客様とスタッフと共に描く未来

ケージー:23年間、お店を続けてこられて、今はどのようなフェーズだと感じていますか?
プロイカオさん:最近はもう、「みんなに支えられている経営」という感じですね。うちのスタッフは本当に自慢で、何よりもチームワークがすごいんです。
ケージー:チームワークってめちゃめちゃ大事ですもんね・・!
プロイカオさん:はい。タイ人は時間にルーズだなんて言われますけど、とんでもない。去年みんなで沖縄旅行に行った時も、待ち合わせに一番最後に着くのは絶対に私です(笑)みんな30分前には集まっているんですよ。
ケージー:社長が一番遅い(笑)
プロイカオさん:本当にみんな真面目で、助け合いの精神もすごいし、頭の回転も速い。特にコロナ禍は本当に大変でしたが、みんなで乗り切ろうという気持ちがすごくて。誰かが感染したら、なってない人が食材を買い出しして玄関に届けてくれたり…。
ケージー:それは…泣けますね。
プロイカオさん:はい。あの時に本当に救われました。だからもう、今はこっちがお世話になっているような、そんな気持ちです。本当にみんなと一緒にやっていられることが、すごく幸せなことだなと思っています。
ケージー:素敵ですね。最後に、お客様やスタッフの皆さんへメッセージをお願いします。
プロイカオさん:そうですね…。お客様には、もし機会があれば、ぜひうちのスタッフに気軽に声をかけてみてほしいです。うちはQRコードオーダーなので、何もしなければ会話なく終わってしまうかもしれないですが、本当にみんな素敵なタイ人スタッフなので。
ケージー:スタッフさんへの愛が伝わってきます。
プロイカオさん:本当に、今はそれだけですね。もちろん、私ももっと色々勉強してブラッシュアップしていきたいですが、何よりも今のこのスタッフたちと、一日でも長くこのお店を続けていけたらいいなと思っています。
ケージー:タイ料理への愛、そして人への愛に溢れたお話、ありがとうございました。プロイカオさん:こちらこそ、ありがとうございました!