物件探しのプロからタイ料理へ─赤羽『タイかぶれ食堂』オーナー新さんの波乱を越えた独立の軌跡

不動産業界で培った「目利き力」を武器に、数々の挑戦を重ねてきた「タイかぶれ食堂」オーナーの新さん。

株式会社スパイスロード創業者である涌井社長との運命的な出会いを機にタイ料理の奥深さに魅了され、「タイにかぶれる」ほどの情熱を抱くように。

幾多の試練を乗り越え、赤羽の地で地域に深く愛される店を築き上げた、新さんの10年にわたる波乱と情熱の軌跡に迫ります。

目次

「きっかけは物件探しから」不動産で培った飲食業界への目利き力

タイかぶれ食堂のオーナー・新さんとの対談様子①
タイかぶれ食堂のオーナー・新さんとの対談様子①

ケージー: 新さん、本日はよろしくお願いいたします。まずは、新さんが飲食業界に入られたきっかけからお伺いしてもよろしいでしょうか?

新さん: はい、よろしくお願いいたします。実は私、もともとは不動産関係の仕事をしていたんです。主に飲食店の店舗開発をずっとやっていました。メインは店舗の不動産で、それに付随して飲食店の開業支援も行っていた形です。

ケージー: なるほど。では、実際に店舗運営にも携わっていらっしゃったんですか?

新さん: いえ、それが全くで(笑)。物件を渡したら、あとは任せた、という感じでした。中身については全く知らなくて、自分で好きなものを食べて、「どういうお店がいいか」ぐらいしか分からなかった、本当の素人でしたね。

ケージー: その後、どのような場所でキャリアを積んでいかれたのでしょうか?

新さん:最初に入ったのは、今はもう会社がないんですが、とあるベンチャー企業です。当時は飲食に特化していて、上場を目指しているフランチャイズブランドの支援を行っていました。

ケージー: フランチャイズの加盟企業を募ったり、指導したりされていたんですね。

新さん: はい、その中の私は店舗開発のセクションでした。具体的には、当時上場する前の「牛角」の店舗開発を重点的に担当させていただきました。サンマルクさんやガリバーさんの実績もあった会社で、僕が入った頃は、牛角さんやゴルフパートナーさんを上場させるプロジェクトが進んでいたんです。

ケージー: すごいですね!上場まで持っていくプロジェクトの開発部分をずっと担当されていたと。

新さん: ええ。まだ20代だったので、下っ端の下っ端で毎日怒られていましたけど(笑)でも、本当に同じ年頃の仲間たちと、上場という目標に向かって一丸となってやっている一体感があって、楽しかったです。若さで勢いがあった頃ですね。

タイかぶれ食堂のオーナー・新さん①
タイかぶれ食堂のオーナー・新さん①

ケージー: その後、新さんはどちらへ?

新さん:その後に行ったのは、ある飲食グループの関連会社で、不動産を専門とする会社です。ここではグループのお店だけでなく、外部の仕事も手掛けるようになります。港区の裏通りにあるような、ちょっとかっこいい物件や、面白い建物で店舗を作れるような場所を探したりしていました。

ケージー: なるほど。より個性的なお店づくりにも関わるようになったのですね。

新さん: そうですね。この頃から、飲食業界に対する視野が広がりました。チェーン店だけでなく、すごいこだわったお店を生み出すような仕事も経験し、その飲食グループが持つ力や、周りにいる素晴らしいお店を手掛けている方々からも多くを学びました。店舗開発の段階から深く関わらせていただき、本当に勉強になりましたね。

ケージー:そこでは、飲食店の「解像度」がより一層上がったんですね。そして、この経験は次のステップに繋がっていくのでしょうか?

新さん: まさにその通りです。言われたことだけをやるのではなく、「こういうお店を作るなら、立地はこうあるべきだ」といった、より細かいことまで考えるようになりました。その後、別の飲食大手企業に転職したのですが、それまでの経験はそこでの仕事に活かされましたね。その企業では、創業社長の鋭い視点から、数字に基づいた緻密な店舗戦略を学びました。売上予測から、厨房の設計、人件費、FLコスト(食材費と人件費の合計)の管理まで、徹底的に計算されたお店作りを目の当たりにして、失敗がほとんどないことに驚きました。物件選びから綿密に計画を立てていく姿は、本当に勉強になりましたね。

ケージー: これらの多様な経験を通じて、飲食業界に対する見方が大きく変わったのではないでしょうか?

新さん: 間違いなく変わりましたね。それぞれの会社で、飲食店の異なる側面、つまりビジネスとしての戦略性、クリエイティブな表現、そして緻密な数字管理という、多角的な視点を学ぶことができました。この頃にはもう30代半ばに差し掛かっていましたが、これまでのキャリアはすべて声をかけてもらって決まっていましたし、常に新しい挑戦に飢えていたんです。これらの経験が、後に私がタイ料理と出会い、自分の店を持つという、全く新しい道へ進むための土台になったと強く感じています。

涌井社長との出会いが導いた「タイ料理」への道

タイかぶれ食堂のオーナー・新さん②
タイかぶれ食堂のオーナー・新さん②

ケージー: 多彩なキャリアを経て飲食業界の深部を知った新さんですが、そこからどのようにして「タイ料理」へと導かれていったのでしょうか?

新さん:これまでの経験でビジネスとしての飲食を深く学びましたが、その中でティーヌンなどを運営する株式会社スパイスロードの創業者である涌井社長との出会いが、私のキャリアを大きく変える転機となりました。私が以前在籍していた飲食グループにいた頃にお会いしたんです。

ケージー: その頃に、すでに涌井社長と交流があったんですね。 その出会いが、タイ料理への興味に繋がったのでしょうか?

新さん: まさにそうですね。当時、私はまだタイ料理にそれほど詳しいわけではありませんでしたが、涌井社長が「純粋に自分が美味しかったタイ料理を広めたい」という強い情熱を持って話されているのを聞いて、心が動かされました。涌井社長はタイ料理の奥深さや魅力を、本当に楽しそうに語る方で。

ケージー: 涌井社長の情熱に触れ、新さん自身もタイ料理に惹かれていったと。

新さん: ええ。初めてタイに行った時、カオサンロードを見たんです。そこには色々なものが混ざり合っているのに、なぜか温かい雰囲気があって。それがタイを好きになった理由なんですが、涌井社長のタイ料理にかける思いが、私のそうした原体験と重なったんです。この出会いをきっかけに、タイ料理の世界に深く足を踏み入れることになりました。

「スパイスロード」での挑戦 – 現場と開発、そしてタイ料理への深まる情熱

タイかぶれ食堂のオーナー・新さん②
タイかぶれ食堂のオーナー・新さんとの対談様子②

ケージー: 涌井社長との出会いによってタイ料理への情熱が芽生えた新さんですが、その後、スパイスロードに入社されたのですね。そこではどのような経験を積まれたのでしょうか?

新さん: はい。涌井社長との出会いを経て、スパイスロードに入社することになりました。実は、入社当初は現場の店舗運営から入ったんです。その後、急遽店長を任されることになったのですが、それまで店舗オペレーションは全くの素人だったので、最初は本当にうまくいきませんでした。人件費のコントロールも分からず、1ヶ月で店長を交代させられたくらいです(笑)

ケージー: それは大変なスタートでしたね。しかし、そこから現場のノウハウを学んでいかれたと。

新さん: そうですね。現場で苦労しながらも、少しずつ店舗運営を教えてもらい、同時に物件開発の仕事も並行して行っていました。そして、スパイスロードでの最も大きなプロジェクトの一つが、新宿の「バンコク屋台カオサン」の立ち上げでした。

ケージー: 新宿のカオサンは、京王電鉄の改札近くという好立地にありますよね。あの店舗の立ち上げには、新さんも深く関わられたと伺っています。

新さん: ええ。あのプロジェクトは、まさに社運がかかっていたと言えるほど大きなものでした。ルミネさんとの交渉から始まり、オープンまでの道のりは本当に大変でしたね。実は、店名の「カオサン」は、私が強く希望して名付けさせてもらったんです。

ケージー: 「カオサン」という名前に、新さんの特別な思いが込められているのですね。

新さん: はい。私が初めてタイに行った時に見たカオサンロードの、色々なものが混ざり合っているのに温かい雰囲気がある、あの混沌とした感じが大好きで。それがタイを好きになったきっかけでもあるんです。だから、「ここはカオサンという名前にさせてほしい」と社長にお願いしました。後付けですが、「カオサン」はタイ語で「ご飯」という意味もあるので、結果的にぴったりでしたね。

タイ・バンコクにあるカオサンロード
タイ・バンコクにあるカオサンロード

ケージー: 他にも、スパイスロード時代に印象的な店舗開発はありましたか?

新さん: 大手町のバンコクエクスプレス(現:バンコクダイナー)も、私が立ち上げに関わった店舗です。当時は土日休みのオフィスビル内での営業で、採算が合うのかという懸念もありましたが、以前の弁当屋さんの成功事例を参考に、必ず成功すると確信していました。契約まで1年かかりましたが、無事にオープンさせることができました。このように、スパイスロードでは現場の経験と、これまでの店舗開発の知識を活かし、タイ料理の魅力を伝えるための店舗作りに情熱を注ぎました。

日本橋での挑戦と「タイかぶれ食堂」誕生の裏側

タイかぶれ食堂のオーナー・新さん③
タイかぶれ食堂のオーナー・新さん③

ケージー: スパイスロードでのご経験を経て、新さんご自身の「タイ料理を広めたい」という思いは、さらに強くなったのではないでしょうか。その後、日本橋で「タイかぶれ食堂」を開店されることになった経緯についてお聞かせください。

新さん: スパイスロードでの日々は非常に充実していましたが、やはりどこかで「自分の店をやりたい」という気持ちが募っていったんです。そして、その思いが形になったのが、日本橋での「タイかぶれ食堂」のオープンでした。日本橋の物件は、本当に縁で。知人から「ここが空いているんだけど、どうだろう?」という話をもらい、それがきっかけで物件を紹介していただき、日本橋で店舗をスタートいたしました。

日本橋で営業されていたタイかぶれ食堂の当時の外観
日本橋で営業されていたタイかぶれ食堂の当時の外観

ケージー: まさに新さんらしい「物件ありき」の始まりですね。日本橋では、どのようなお店を目指されていたのでしょうか?

新さん: はい、そうなんです。日本橋では約2年間営業していました。物件は日本橋の交差点近く、コレド室町の裏側あたりにあったビルの奥まった場所で、路地裏に面していたんです。そこに「タイかぶれ食堂」という店名を冠して。

ケージー: その「タイかぶれ食堂」という店名には、どのような思いが込められているのですか?

新さん: 「タイかぶれ」という言葉は、文字通りタイに深く魅せられ、その文化や料理にどっぷり浸かる、そんな私の思いを込めて名付けました。タイ料理の奥深さや、現地で感じた熱気を、日本橋という場所で表現したい。そして、タイ料理をまだ知らない方にも、その魅力に「かぶれて」もらえるような、親しみやすい食堂にしたいという願いがありました。日本橋のあの路地裏の雰囲気なら、その思いが伝わる空間を作れると感じたんです。

ケージー: 素敵です。日本橋での営業が2年間だったとのことですが、何か特別な事情があったのでしょうか?

新さん: 実は、立ち退きの問題に直面してしまいまして。店は非常にうまくいっていたので、なんとか立ち退きを避けるために様々な方法を考え、交渉も重ねました。しかし、最終的には、泣く泣く退去することになったんです。当時は本当に残念で仕方ありませんでしたが、今振り返ると、コロナ禍の前に立ち退きになったのは、ある意味では運が良かったのかもしれません。もしそのまま営業を続けていたら、コロナで閉店を余儀なくされていた可能性もありますから。

試練を越えて、赤羽での再出発

タイかぶれ食堂の内観
タイかぶれ食堂の内観

ケージー: 日本橋での立ち退きという予期せぬ出来事から、新さんはどのように立ち直り、現在の赤羽での「タイかぶれ食堂」へと繋げていかれたのでしょうか?

新さん: 日本橋の店を立ち退きになった後、実は神保町でもスパイスロードのフランチャイズ1号店として店を出していた時期がありました。そこは、元々タイが大好きだった元店長さんがやられていた場所で、内装も完全にタイを再現したような素晴らしい雰囲気でした。私自身も神保町の街が好きだったので、ここでならうまくいくと信じていました。

ケージー: 神保町はオフィスワーカーも多い街ですよね。オープンはコロナ前だったんですか?

新さん: 2019年末にオープンしたんですが、直後にコロナ禍が直撃してしまいました。神保町は特に打撃が大きく、お客様に寄り添いきれていなかったという反省もあり、結局、閉店せざるを得ませんでした。中途半端に両方を続けるよりも、どちらかを切るならと、苦渋の決断でしたが神保町店を閉めることにしたんです。

ケージー: それは大きな試練でしたね。そのような状況の中、どのようにして赤羽での再出発を決意されたのですか?

新さん: 日本橋での立ち退きも、神保町でのコロナ禍での閉店も、非常に辛い経験でした。しかし、そうした試練があったからこそ、今があります。赤羽に「タイかぶれ食堂」を再開することになったのは、実は日本橋で店をやっていた頃に、ここ赤羽で後輩が店をやっていた縁なんです。私の地元は川口なんですが、赤羽も昔からよく知っている街でしたし、この物件も知っていたんです。

ケージー: 地元に近い場所に戻ってこられた形なのですね。赤羽で10年目を迎えられたとのことですが、この街での手応えはいかがでしょうか?

タイかぶれ食堂の外観
タイかぶれ食堂の外観

新さん: 本当に赤羽でよかったと心から思っています。この街の人たちは、地元地域に密着されている方が多くて、温かいんです。私自身、川口出身なので地元の友人も多く、中学校や高校の同窓会などで店を利用してくれたり、地域の方々が人生の節目節目で当店を選んでくださることも多いんです。

ケージー: まさに地域に根ざしたお店として愛されていると。

新さん: ええ。常連さんが多く、コミュニティができたという感覚ですね。都会のビジネス街で働きたいという憧れもありましたが、結果的にローカルなこの地で、お客様との顔が見える関係性を築きながら長く続けられていることが、何よりも嬉しいです。この赤羽の地で、タイ料理を通じて人々と繋がり、お店が皆さんのホームランドのような存在になれていることに、大きな喜びを感じています。

「タイ料理を知らない人に来てほしい」新さんが描く未来の食堂像

タイかぶれ食堂のオーナー・新さん④
タイかぶれ食堂のオーナー・新さん④

ケージー: 数々の試練を乗り越え、赤羽で地域に根ざしたお店として愛されている「タイかぶれ食堂」。最後に、新さんがこのお店に込める思いや、今後の展望についてお聞かせいただけますでしょうか?

新さん: はい。私が「タイかぶれ食堂」を始めた一番の思いは、タイ料理を知らない人にこそ来てもらいたいということです。敷居を高く感じさせず、気軽にタイ料理に触れてほしいと考えています。

ケージー: 具体的にはどのような形で、その思いを伝えたいとお考えですか?

新さん: 例えば、うちに来て初めてタイ料理を食べて、「こんなに美味しいんだ!」と感動してくれたお客様が、今度はタイに旅行に行ってみたり、そのお子さんを連れてまた店に来てくれたりする。そういう繋がりが生まれるのが、この店をやっていて一番嬉しい瞬間なんです。

ケージー: タイ料理をきっかけに、お客様の新しい体験や繋がりが生まれているんですね。

新さん: まさにそうですね。私は、自分が本当に美味しいと思ったタイ料理を届けたい、広めたいという気持ちが強くあります。タイ料理って、本当に奥が深いんですよ。「これもタイ料理なの!?」と驚かれるような料理もたくさんありますし、もっと気軽に、日本人の食生活に溶け込ませていきたいんです。

ケージー: では、今後の「タイかぶれ食堂」は、どのような場所になっていきたいですか?

新さん: そうですね。例えば、一人でふらっと立ち寄って飲んだり、男同士で気軽に飲んだりできるような、そんな使い方ができるお店にしていきたいです。タイ料理をメインの食事としてだけでなく、お酒と共に楽しむ「つまみ」としても選んでもらえるような。もっと多くの方にとって、日常に寄り添う存在になれたら嬉しいですね。

ケージー:本日はお時間いただき、ありがとうございました!

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