大阪・天満の雑多な飲み屋街の2階にある、ちょっと不思議な空気をまとったタイ料理店「コップン天満」。
そこで迎えてくれたのは、店長のヌイコさん。華やかな笑顔と軽快なトークの奥にあるのは、20年以上にわたるタイ料理との濃密な時間と、何度も訪れた“やめどき”を乗り越えてきた覚悟でした。
「実は、タイもタイ料理も、最初は好きじゃなかったんです」。そんな驚きの言葉から始まったヌイコさんの物語は、ただの“飲食店インタビュー”では語りきれない奥行きと、人生のリアルが詰まってました。今回はそんなコップン天満店長のヌイコさんにお店をオープンされるに至るまでのストーリーについてインタビューさせていただきました。
「実は好きじゃなかった」—偶然から始まったタイ料理との縁
ケージー:ヌイコさん、本日はよろしくお願いします!まずは、タイ料理との出会いからお聞きしてもいいですか?
ヌイコさん:はい、よろしくお願いします!実は私、最初はまったくタイにもタイ料理にも興味がなかったんですよ(笑)。もともとはバリやインドネシアの雑貨や洋服が好きで、そういうものを作る仕事をしていたんです。バックパッカーみたいな感じで、東南アジアを旅していた時期もありました。
ケージー:なるほど、インドネシアがスタートだったんですね。
ヌイコさん:そうなんです。だから「タイ料理屋で働く」なんて全然想像していなくて。ある日、たまたま通りかかったお店に「オープニングスタッフ募集」って貼り紙があって、ほんとに“なんとなく”応募したのが始まりでした。
ケージー:完全に偶然の出会いだったんですね。
ヌイコさん:そう。でも最初は本当に大変でした。タイ人のコックさんたちと一緒に働くのも初めてで、文化も気質も全然違って。毎日がしんどかったですね。
ケージー:そこから、どうして続けようと思えたんですか?
ヌイコさん:ある日、コックさんが作った料理を食べて、あまりの美味しさにびっくりしたんです。「タイ料理って、こんなに美味しいんや!」って。それが私の中のすべてを変えてしまった感じでした。
ケージー:なるほど……惹かれたのは料理そのものというより、人との関わりや体験を通して、という感じですね。
ヌイコさん:そうかもしれませんね。タイ料理って、最初は「クセがある」とか「辛そう」って思われがちだけど、ちゃんと向き合えば本当に奥深い。そして、何よりも“誰かの人生を変える料理”だなって思ったんです。私自身がその証拠ですし(笑)
インドネシアに行くはずが、気づけばタイ料理一筋に
ケージー:ヌイコさん、さっきおっしゃっていたように、当初はインドネシアへの思いが強かったんですよね?
ヌイコさん:そうなんです。実は本気でインドネシア移住を考えてたくらいで、バリの文化や雑貨が本当に大好きで。そのために動いてたし、「タイ料理に関わる」なんて自分でも思ってなかったです(笑)。
ケージー:それが、どうして“タイ料理の現場”に長く関わることになったんでしょう?
ヌイコさん:最初のきっかけはほんの偶然だったけど、そこで出会った料理と人たちがすごく魅力的で。「こんな世界もあるんやな」って思って。何度も「もうやめよう」と思ったんですけど、タイ料理から離れようとしても、なぜかまた声がかかるんです。
ケージー:呼び戻されるというか、縁があるというか。
ヌイコさん:ほんとに、縁ですね。最初に働いたお店はもうないんですけど、その後も不思議とタイ料理のお店から声がかかって。少し手伝うつもりが、気づけばレギュラーになってたりして(笑)。あっという間に20年ですよ。
ケージー:すごい……もう完全に“タイ料理の人”じゃないですか。
ヌイコさん:いやほんと、自分でも不思議です(笑)。でもタイ料理の魅力って、味だけじゃなくて、タイの人たちの考え方や空気感も含めて惹かれるんですよね。
ケージー:たとえば、どういう部分ですか?
ヌイコさん:距離感の近さとか、感情をちゃんと出すところ。日本では「こうしなきゃ」「察しなきゃ」っていう空気があるけど、タイの人たちはもっと自然体というか、オープンで。最初は戸惑ったけど、「あ、これでいいんやな」って気づいた時、生きやすくなったんです。
ケージー:タイの人たちとの関わり方が、ヌイコさんの生き方にも影響を与えたんですね。
ヌイコさん:はい。だから今も、料理だけじゃなくて、空気感ごと伝えていきたいって思っています。
13席から160席へ――伝説の店と、その後の急転直下
ケージー:ヌイコさん、長くタイ料理に関わってこられた中でも、すごく大きな転機になったお店があったと伺いました。
ヌイコさん:そうですね。大阪で、駅前のタイ料理店の立ち上げに関わった時のことです。最初は本当に小さなお店で、13席しかなかったんですけど……そこが、信じられないくらい反響があって。
ケージー:13席って、かなりこぢんまりした規模ですよね。それがどうして160席まで……!?
ヌイコさん:いやもう、こっちが聞きたいですよ(笑)初めてのことばかりで、必死にがむしゃらに働いていたら、気づけばお店がどんどん広がっていって、最終的には160席の大箱に。お客さんが子どもからお年寄りまで、いろんな世代の人が来てくれて……本当に地元に根付いたお店になりました。
ケージー:それはまさに「伝説の店」ですね。
ヌイコさん:当時は必死すぎて実感なかったんですけど、あとから振り返ると、あの店は本当に特別でした。お客さんの中には「人生で初めてタイ料理を食べたのがここ」という方も多くて、すごく思い入れがあります。
ケージー:そのまま、そのお店でずっと続けていくつもりだったんですよね?
ヌイコさん:はい、私もそう思ってたし、周りもそう思ってたと思います。でも、ある日諸々の理由により予期せず急遽退職する事になってしまいまして…..。
ケージー:ええ、そうだったんですね..。
ヌイコさん:ほんとに、ある日突然でした。私自身も全く予想してなくて、「え、何かやらかした?」って思うくらいでしたけど、いろんな事情があったみたいで。でも、そのときは本当にショックで、しばらく立ち直れませんでした。
ケージー:それまで人生を捧げていた場所を、突然失うって……想像を絶します。
ヌイコさん:本当にそう。でも、そこで「飲食をやめる」という選択肢は不思議と出てこなかったんですよね。「もうこの先どうしよう」って思いながらも、「やっぱりタイ料理がやりたい」という気持ちだけは残ってて。
ケージー:それが、独立へのきっかけにつながったんですね。
ヌイコさん:そうですね。「夢の独立!」みたいな前向きな感じじゃなくて、「もう他にできることがないからやってみるしかない」という感じでした。でも、今思えばあの出来事がなければ、今の私はなかったと思います。
ケージー:運命の転機って、いつもドラマチックですね……。
京都、滋賀、そして天満へ——“再スタート”を導いたご縁
ケージー:お店を突然辞めることになって、そこから独立へ…。まさに激動のタイミングだったんですね。
ヌイコさん:そうですね。その後すぐに京都で町家を借りて、自分のお店を始めたんです。でも、家賃がすごく高くて……感覚的に突っ込んじゃった部分があったんですよね。
ケージー:京都の町家って、雰囲気は素敵だけどコストもかかりますよね。
ヌイコさん:ほんまにそう(笑)お店は素敵やったんですよ。お客さんも少しずつ増えてはいたんですけど、経営が全然追いつかなくて……結局、もっと小さな場所に移ってなんとか続けてました。
ケージー:そこから滋賀のゲストハウスでもお店をされていたんですよね?
ヌイコさん:はい、ちょうどその時期にご縁があって、ゲストハウスの食堂をやってみないかって声をかけてもらったんです。京都と滋賀を行ったり来たりしてて、山越えて通ってました(笑)。
ケージー:うわあ……かなりハードな生活ですね。
ヌイコさん:めちゃくちゃしんどかったです。でも、「今辞めたら全部終わるかも」っていう気持ちもあって、がんばってたんですよね。でもやっぱり、どっちも中途半端になってしまって……結果的に、どちらも続けるのが難しくなりました。
ケージー:それはつらい……。そのタイミングで、天満にたどり着くきっかけがあったんですか?
ヌイコさん:もう、「そろそろ終わりかな……」と思ってた時に、今のオーナーさんに出会ったんです。前から私の活動を見てくれてた方で、「料理もキャラクターも、まだ絶対に価値がある」って言ってくれて。
ケージー:それは……泣いちゃいそうなくらい、嬉しい言葉ですね。
ヌイコさん:ほんまに救われました。正直、その時はもう飲食もやめようと思ってたんですよ。でも、「一緒に物件を探そう」って言ってくれて、天満でたまたま今の場所が空いてて。前のお店の内装をそのまま活かせる形で、再スタートを切ることになりました。
ケージー:なるほど……まさに「再スタートを導いたご縁」ですね。
ヌイコさん:そうなんです。でも、オープンして間もないタイミングで、一緒にやってたコックさんが急きょアメリカに行くことになって……「え、どうするん!?」ってパニックになりました。
ケージー:またも急展開……!
ヌイコさん:そこでもね、いろんなご縁に助けられたんです。ラオス料理研究家の小松くんが急きょ手伝ってくれたり、なんとガリガリガリクソンさんが料理を手伝ってくれたり(笑)

ケージー:えっ、ガリガリガリクソンさん!?
ヌイコさん:そうなんですよ(笑)いろんな奇跡が重なって、なんとかお店を続けることができました。ほんまに、人に助けられてばっかりの人生です。
ケージー:でもその“人の縁”を引き寄せてるのは、ヌイコさん自身の魅力ですよ。
ヌイコさん:いやいや……でもそう言ってもらえると、ちょっと救われます(笑)。
「2階のタイ料理屋」に込めた想いと、育てたい空気感
ケージー:改めて、「2階のタイ料理屋 コップン天満」という店名も印象的ですよね。どういう経緯でこの名前になったんですか?
ヌイコさん:ほんまにシンプルで、「そのまんまやん!」って感じなんですけど(笑)2階にあるから、分かりやすく「2階のタイ料理屋」でいいかなって。
ケージー:逆に潔くて覚えやすいですよね(笑)でも、名前に“親しみ”があるというか、初めての人でも気軽に上がれそうな空気を感じます。
ヌイコさん:そうなんですよ。実際、目立つ場所じゃないからこそ、「なんかあるぞ?」って思って階段をのぼってきてくれる人が多いんです。ちょっとした冒険というか、発見してもらう楽しさを感じてほしくて。
ケージー:階段をのぼった先に広がる異世界感というか。お店に入った瞬間、ちょっとアジアの街角に来たような雰囲気もありますよね。
ヌイコさん:ありがとうございます。そこはすごく意識していて、東南アジアの“混ざり合う感じ”を大事にしたくて。いろんな国の人がいて、いろんな言葉が飛び交って、でもなんか居心地がいい、みたいな。
ケージー:実際、お客さんも多国籍な印象がありますね。
ヌイコさん:はい。特に最近は、語学学校に通ってる東南アジアの学生さんがよく来てくれて、うちのコックさんなんか「母ちゃん」みたいに可愛がってるんです(笑)。
ケージー:素敵な関係ですね。それって単なる“お店とお客さん”じゃなくて、“人と人”のつながりですよね。
ヌイコさん:うん、まさにそこがやりたいことなんです。料理だけじゃなくて、空気感ごと楽しんでほしい。ちょっと疲れてても、なんかここに来るとホッとできる、そんな場所にしたくて。
ケージー:それって、タイ料理が持つ“包容力”みたいなものにも通じる気がします。
ヌイコさん:ほんまそう思います。タイ料理って、クセがあるとか辛いとか、いろんなイメージがあるけど、実際はものすごく幅が広い。誰かにとっての“初めてのタイ料理”がここでよかった、って思ってもらえたら嬉しいです。
ケージー:まさに、“タイ料理の入り口”としての役割も担ってるんですね。
ヌイコさん:そうですね。でもそれ以上に、「人が集まれる場所」でありたい。東南アジア好きな人も、ちょっと気になるなって人も、たまたま通りかかっただけの人も、なんか気軽に来てもらえるような、あったかい場所にしたいなって思っています。
コミュ障から“接客向き”へ——タイ料理が変えた私
ケージー:ここまでのお話を聞いていて感じるのは、ヌイコさんって本当に“人との縁”を大事にしている方だなということなんですが、実は「もともとコミュ障だった」って本当ですか?
ヌイコさん:ほんまにそうなんですよ(笑)。若いころから人と話すのが苦手で、大人数の場とか、人前でしゃべるのも超苦手でした。できれば誰とも関わらずに生きていけたらって思ってたくらい(笑)。
ケージー:今の姿からは全く想像できないです……!じゃあ、どうしてそんなヌイコさんが“接客の人”になったんでしょう?
ヌイコさん:やっぱりタイ料理屋で働きはじめたのが大きかったですね。最初は文化も言葉も違って、タイ人のスタッフに怒られてるのか何なのかも分からないし、毎日「無理!」って思ってました。
ケージー:言葉も雰囲気も全然違う世界ですもんね。
ヌイコさん:そう。でも、あるときふと気づいたんです。「あれ?この人たち、悪気があるわけじゃないんやな」って。感情表現がストレートで、怒ってると思ったらすぐ笑うし、めっちゃくちゃ感情が出る。でもそれが逆に楽になったというか。
ケージー:言葉じゃなくて、空気で伝わる部分というか。
ヌイコさん:そうそう。「なんか怒ってる?」と思っても、5分後にケラケラ笑ってたりして。「ああ、これでいいんや」って思えたら、自分も肩の力が抜けてきて、だんだんとコミュニケーションが怖くなくなっていったんですよね。
ケージー:まさに“タイの空気感”がヌイコさんを変えたんですね。
ヌイコさん:そうなんです。だから、家族との関係も楽になったし、自分を責めることも減ったし……人と関わるのがしんどかった私が、「人と関わるって楽しいやん」って思えるようになったのは、タイ料理と出会ってからです。
ケージー:そして、今や「接客向いてるね」って言われるまでに。
ヌイコさん:それがもうビックリで(笑)。お客さんにそう言われて初めて、「私、向いてるんや」って気づいたんですよ。だから、今は「誰でも変われるよ!」って言いたいですね。
ケージー:じゃあ、コミュ障で悩んでる人は、タイ料理屋でバイトするのが一番かもしれませんね(笑)
ヌイコさん:ほんまそれ(笑)!タイ料理屋って、フランクで、言葉が通じなくてもなんとかなるし、自分をさらけ出す練習にはぴったりやと思います!
タイ料理の入り口として、そして誰かの“きっかけ”になる場所へ
ケージー:これまでの紆余曲折を経て、いま「コップン天満」は新たなスタートを切っていると思うのですが、今後はどんなお店にしていきたいと考えていますか?
ヌイコさん:最初から「こうしたい」っていう明確なビジョンがあったわけじゃないんです。でも気づけば、いろんなご縁が集まってここまで続けてこれた。だから今後も、「誰かのきっかけになる場所」でありたいと思ってるんです。
ケージー:「誰かのきっかけになる場所」めちゃいいですね!
ヌイコさん:はい。たとえば、これまでタイ料理を食べたことがなかった人が「意外とおいしい!」って思ってくれたり、東南アジアから来た学生さんが「ここに来ると安心する」って言ってくれたり。そんなふうに、小さな変化や気づきが生まれるような空間にしたいなと。
ケージー:まさに“入り口”としての役割ですね。
ヌイコさん:そうなんです。タイ料理って、初めての人にはちょっとハードルが高く感じるかもしれないけど、いろんな味があるし、「これならいける!」っていう料理も絶対にあるんです。実際、最初は不安そうだった方が、何度も来てくれるようになるケースも多くて。
ケージー:ヌイコさん自身が「最初は好きじゃなかった」からこそ、初心者の気持ちが分かるというのも大きいですよね。
ヌイコさん:ほんまにそうなんです(笑)だからこそ、「ちょっと苦手かも」って人にこそ来てほしい。無理せず、自分のペースで、ちょっとでも面白がってくれたらそれで十分なんです。
ケージー:最後に、この記事を読んでいる方へメッセージお願いします!
ヌイコさん:「コップン天満」は、ちょっと見つけにくい“2階のタイ料理屋”ですが(笑)勇気を出して階段をのぼってみたら、意外とおもしろい世界が広がってるかもしれません。タイ料理が大好きな方も、まだ食べたことがない方も、ちょっと疲れた方も、なんとなく誰かと話したい方も……どうぞ気軽にのぞいてみてください。お待ちしています!
ケージー:本日は本当にありがとうございました!ヌイコさんの20年の物語、たっぷりと聞かせていただいて、こちらこそたくさんの“きっかけ”をもらいました。
ヌイコさん:ありがとうございました〜!